五十而知天命&バリ島往還

半世紀を生きてきた今、無理しない生き方をゆるーく追及中。バリ旅に学ぶところ多し。

ステイホームでストレスがたまる人とたまらない人

 

偏頭痛発作が起きないようにするのが毎日の重要案件なので、ついそのことばかり書いて漢方薬ブログのようになってしまったので、そろそろ違うことも書こうと思う。

ステイホームのストレスがTVで取りざたされているが

新型コロナウィルス感染症の広がりを防ぐために、3月末に外出の自粛が推奨されてから、もう3ヶ月以上が過ぎた。ステイホームという言葉は、4月末~5月の大型連休を前にした会見で、小池都知事が「今年はゴールデンウィークではなくステイホーム週間」と言われてから広まったような気がするが、その前から誰か言っていたのだろうか。

ステイホームで外出できないストレスについては、特に大型連休中にTVで話題になっていたと思う。天候が良く、いわゆる「おでかけ日和」が続いていたせいもあるだろう。食料品の買い物は必要なんだから仕方ないよね、と外出する口実にして家族連れが繰り出したため、スーパーが混雑してしまったという話もあった。

家族の問題は避けられない

子供たちがステイホームでストレスをためる、というのはよくわかる。幼稚園や学校で走り回り、友達とじゃれ合い、遊具によじ登るだけのエネルギーを持ったまま、すこし大きな音をたてると叱られる家の中にずっといるのは、辛いことだろうと思う。その相手をする大人のしんどさも、想像するに難くない。

大人同士であっても、普段は一緒に過ごす時間がそれほど長くはない夫婦や親子が、何日も顔を合わせて過ごすことで、ストレスになっているという意見も良く聞かれた。DV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の相談件数も増えてしまったというのだから深刻な話だ。

そうした家族関係に起因するストレスを、一定の割合の人が持つだろうことは、さほど不思議とは思わない。この状況になってから関係を良くするためにどうこうしましょう、というのも理想論過ぎる。残念だが、家族間にストレスがある場合は、なんとか爆発しないようにやり過ごすしかないのではないかという気がする。

個としての大人のステイホームの感じ方

しかし、そのような人間関係を別としても、ステイホームでストレスをためている人と、そうでもない人に分かれるように思う。どこが違うのか。

FacebookInstagramで友人の様子をみていると、もともと料理が好きな人たちの投稿が盛んだ。いつもはできない時間がかかる○○を作った、パンを焼いたとうきうきした投稿が続く。料理好きな人たちにとって、ステイホームは、作ってみたかった手がかかるあの料理に取り組める、チャンスなのである。

ただ、一人暮らしだとせっかく作っても誰にも食べてもらえないとか、美味しいものばかりつくって食べてしまうので体重が増えたとか、別の悩みは聞こえてくる。

一方で、食べ歩き系の投稿が多い向きは、皆さんおとなしい。そもそも外食は控えているだろうし、したとしても大っぴらに言うことが憚られるような風潮では、投稿はしづらいということだろう。緊急事態宣言が解除されたときに「ようやく!」というコメント付きで生ビールを手にする投稿が一時的に増えたが、その後の感染者数増加で、またおとなしくなった。

Zoom飲みというものも流行して、筆者も何度か誘われて参加した。しばらく顔をみていなかった友人と話をするのは楽しかったが、どのグループでも2、3回開催されたところで、そのあとは聞かなくなった。結局、対面での飲み会の代替になるものではないということだろう。

飲み会の写真、やきとりを前にレモンチューハイで乾杯している

オンライン飲み会では「かんぱ~い!」の代わりにはならない

できないことの代替として何かをしようとするストレス

この、コロナのためにできないことの「代わり」に○○をやる、というのは、結局ストレスになるのではないかという気がする。代替案としての何かをするのではなくて、手のかかる料理のように、普段は諦めていたけれど、ステイホーム「だからこそ」できることをやっている人のほうが、幸福度が高いように思えるのだ。

できないことの代わりに何かしようとすれば、おのずと「いまできないこと」に気持ちが向いてしまう。本当だったらこうしたいところを代わりにこうしようという考察には、「本当だったらこうしたい」がついてまわる。

でももしかしたら、代替案を考えているうちに、普段のやり方ではできないけれど、この案だからこそできることがある、という発見があるかもしれない。ただし、この代替案にも少しはいいところがある、という程度の話ではいけない。コロナ禍が過ぎて、ステイホームが解消された後でも続けたいようなアイデアであれば、ストレスとは無縁で楽しんでいけるだろう。

我慢は尊いがもったいない

ステイホームを我慢のときと覚悟して、付け焼刃のストレス解消対策なるものを取りながら解除される日を夢見ているのは、努力としては尊いとは思うが、どうももったいないような気がする。

家にずっといるからこそできることに気持ちを集めて、これをやってしまうまではステイホームが解消されないといいのだけど、と思えるくらいになったら、ストレスとは無縁でいられるだろう。そうなれば、緊急事態宣言が解除されたからといっていきなり外に飛び出して街を混雑させたりしないで、もうしばらく様子を見ようという心の余裕も生まれるだろう。

何もない? 本当にそうだろうか。いつもやっていることを基準にして考えてしまうからでは? ゼロベースで、慌てずに、時間をかけて思いをめぐはせてみてはいかがでしょうか。