五十而知天命&バリ島往還

半世紀を生きてきた今、無理しない生き方をゆるーく追及中。バリ旅に学ぶところ多し。

「マスクをはずしたら発語・発声しない」が基本マナーになれば状況は良くなるのでは

マスクをせずに近距離で話をしている光景を見てしまった

今日、東京都高校野球大会の東西対抗戦のTV中継を見た。野球を見ていたというより、TVをつけたらたまたまやっていて、試合が終わって記念撮影をしていた。

記念撮影なので、ぎゅっと固まって並んでいる。密だ。でもそうしないとフレームに入らないのでしかたがない。

顔が映らない写真撮影などないので、マスクはしていない。それもやむを得ないだろう。

でも、これはちょっと・・・と思ったのは、その状態で、選手同士が話をしていたのが見えたことだ。

勝った方のチームなのか、みんなニコニコして嬉しそうだ。横を向いたり、振り向いたりして、なにやら声をかけているのが見て取れる。和気あいあいとした、いいシーンだ。

でも、顔と顔が近い状態で、向き合って、マスクをせずに発語するというのは、いくら屋外だからと言って、あの近さなら飛沫が飛んで相手の顔にかかるだろう。それがTVで「いいシーン」として放映されている。

いま、人が集まるいろいろなところで、飛沫がかかるのを避けましょうと必死の努力をしているのに、これはないんじゃないか、と思った。

 

何を避けるべきかの根本を考えること

新型コロナウィルスの感染経路は、飛沫感染接触感染、といわれている。どちらにしても、感染者の唾液に含まれるウィルスが、他の人の目や鼻の粘膜に付着することでおきる。

飲食店へ自粛を依頼することになったのも、近い距離で喋っている相手の飛沫が、目や鼻の粘膜につくことが感染の原因になるとされているからだ。だから、飲食店での食事がいけないと言っているのではなく、複数人が集まっての「会食」を避けて欲しいという話になっている。

日本人は守るべき指標を欲しがるので、会話は15分以下なら比較的安全だとか、2m以上離れてだとか、根拠があるようなないような数字を並べては、それを守ればシロで守らないとクロ、みたいな話になりがちだ。マスクをするしないも、人込みならどうとか、炎天下ならどうとか、こまごまと条件を並べ立ててはシロクロつけたがる。

でも、実際に避けるべきことは単純で、自分が感染していると仮定して「自分の唾液の飛沫が、他人の粘膜に触れないようにする」というだけのことだ。あとは、そうなっていないかどうかを、自分で考えれば良いのではないか。

くしゃみ、咳はもちろんだが、発語・発声で飛沫が飛ぶことも、知らない人はいないと思う。また、そういう場合にマスクをする、ハンカチで口を覆うことで、飛沫の飛散がかなり防げることも、私たちは知っている。それを裏付ける米国の研究もある。

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大声の飛沫は300個超、布で覆うと激減 米チーム発表:朝日新聞デジタル

 

「マスクをはずしたら発語・発声しない」で経済活動できるのでは

そうであれば、「自分の唾液の飛沫が、他人の粘膜に触れないようにする」を効果的に行う方法のひとつが、「マスクをはずしたら発語・発声しない」ということであるのは自明だ。それが基本マナーとした上で、経済活動を再開させればよいのではないかと思う。

飲食店の営業自粛だって、相手に飛沫が飛ばないようなシールドをした上であれば、会食だってしても良いし、何時までだって営業して構わないのではないか。実際に、つけたまま食事ができるマスクを開発しつつある企業もある。

 感染拡大防止の肝は、何時までとか何人までとかではなく、飛沫が相手の粘膜に到達する状況をつくらない、ということだ。

近くに人がいる時にマスクなしで発語しないことはもちろんだが、誰もいなくても発語やくしゃみをすれば飛沫は飛んで、そのあたりに付着する。その後でそこを触った人が自分の目や鼻を触り、感染するリスクがある(接触感染)。近くに人がいなくて、たとえば携帯電話での会話で発語するような場合でも、マスクをするべきだということは、そう考えればわかるだろう。

飲食店の時間制限の要請は、どう考えればいいだろうか。理屈で言えば「マスクをはずしたら発語・発声しない」ようにしていれば、22時過ぎても外で食事をしても良いような気がする。でも、夜遅くなるほど酔っぱらって行動が不注意になる人が多くなるのは事実だと思うので、案外22時までという指標は案外役に立つのかもしれないとは思う(その意味だと、もう少し早めの時刻でないと効果がないかもしれないが…)。

舞台芸術は、マスクをしていては成り立たないものもあるだろう。衣装の一部として布で口元を覆えるといいと思うが、できない場合は、飛沫がかかる距離に客を入れなければいい。空気中を漂う飛沫については、会場の広さと換気で、リスクがゼロにはならないまでも、観客を巻き込んだクラスターを防げるレベルまではリスクを下げられるだろう。あとは俳優同士の問題があるが、ワクチンができるまでは演出でカバーする方法もある。広さが必要なので、ライブハウスは難しいかもしれないが、大劇場まで停止していなくてもいいのではないか。観客は、マスクをはずして声を出さないことが守れれば、密集をそれほど恐れることもないと思う。舞台はいっしょくたに目の敵にされている感じがするが、一律にNGではなく、工夫の余地があるのではないかと思う。

白いマスクの写真

新型コロナ対策のマスクは自分が飛沫を出さないためのもの

 

写真撮影を本当に良いシーンにする方法はあったのに

高校野球大会の話に戻ると、大会運営としては、まさかとは思うが、写真撮影は屋外だから問題ない、という判断だったのだろうか。そうではないと信じたい。あのマスクもせずに肩を寄せ合って並んだまま言葉を掛け合う光景を生み出しておいて、「感染防止を徹底しています」などとは言わないで欲しいと思う。

これはもう、選手の問題というより、撮影の場をコントロールしていた大会側の危機意識の問題だ。

写真撮影が悪いとは言わない。けれど、大勢が撮影のために並ぼうとするとき、うまく並ぶために声を掛け合うことはあり得ることだ。試合の興奮のあとで気持ちが盛り上がっていれば、メンバー同士で一言二言言葉を交わしたくもなるだろう。

それはわかりきっていることなのだから、試合(運動)が終わったらすぐに、撮影に並ぶために動く前に、全員がマスクを着用する姿を見せてほしかった。それで、きれいに並び終わって、さあ撮影しようとなったときに、マスクを外せばよかったのだ。

そして、マスクを外している間は発語せず、撮影が終わったらまたその場で全員マスクをして、帰っていくということは、難しいことではなかったはずだ。

 

これだけ全国で感染者が増えていて、TVのトーク番組でも、席の間隔を空けたり、間にアクリル板を立てたり、向き合って話さないようにしたり、飛沫が相手にかからないように、大変気を使っている。

実際に感染を避けるという意味はもちろんあると思うが、TV放映の場合、番組上でそういう姿勢を見せることで、なるほどこういう風に気をつけなければならない世界なのだということを、啓蒙する意味が大きいと思う。

そういう自覚があれば、TV局側から、大会に働きかけるなり、解説者がひとことコメントするなり、何かアクションがあっても良かったのではないかと思った。

全体的に、もうちょっとTV局にはよく考えて放送していただきたい。自分たちのやりようひとつで、大衆を感染拡大防止に効果がある方向へリードすることもできるし、あるいは、せっかく防止策を取っていたのをやめさせてしまうことにもなってしまう。

お盆時期に入ってからは、どこが空いているとか人気スポットがガラガラだとかやたらと喧伝して、旅行に来た人たちが楽しんでいる様子を自らはしゃいだ声でレポートしているキャスターがいるのが、筆者は本当に気になっている。これではステイホームしている人が馬鹿を見ているみたいだ。感染拡大防止のために、ステイホームの呼びかけにきちんと応えている人たちがいるから助かっている、という論調にできないものなのだろうか。