五十而知天命&バリ島往還

半世紀を生きてきた今、無理しない生き方をゆるーく追及中。バリ旅に学ぶところ多し。

長男・長女で結婚した私たちが家を持つにあたって考えてきたこと

夫と私は、27年ほど前に、長男・長女で結婚しました。私には男の兄弟はいません。そんな我々が、家を持つにあたってどのように親との関係を持ってきたかを、少し長くなりますが、順を追ってお話ししてみたいと思います。

 

 

家を持つのは若いうちに、という父の教え

私は父から「家は若いうちに建てたほうがいい」と教えられていました。

地方出身で首都圏で会社勤めをしていた父は、昭和40年代に30歳になるならずで土地を買い家を建て、ローンも早めに払い終わっていました。そのため、後に50代半ばで、バブル崩壊で勤めていた会社が倒産したときにローンがなかったので、生活水準を落とさずに済んだのでした。

確かに、早めに不動産のローンを終わらせるのは合理的だな、と思った私は、就職1年目から住宅金融公庫の「つみたてくん」を始めていました。

そして20代半ばで結婚してからは、まだ今すぐにということではないにせよ、主人と分譲マンションの資料を取り寄せたり、たまには内覧展示を覗きに行ったりしていました。

ちなみにこの頃は、ふたりとも庭付き一戸建てに住むというイメージが全く湧かず、東京のできるだけ便利なところにマンションを買いたいということを考えていました。

 

阪神・淡路大震災後のマンション再建計画の困難さを目の当たりに

そんな頃、1995年1月17日未明に、阪神・淡路大震災が起こります。神戸市の市街地が震源に近かったこともあり、多くのビルやマンションが甚大な被害を受けました。

あの時にテレビ中継で見た、横倒しになった高速道路や、波打つように歪んで倒壊しかかっている多くのビルの映像は、忘れることができません。

この後、2011年に東日本大震災が起きているので、若い方は大地震と言えば2万人以上の命を奪った津波の恐ろしさを思い起こすかもしれませんが、都市部の直下型地震の怖さを思い出すためにも、阪神・淡路大震災を振り返る報道が、もっとあってもいいのではないかと常々思っています。

この震災の直接の被害で6千人を超える死者が出たことは痛ましいことでしたが、困難はそれだけではありませんでした。

それからしばらく経って、ニュースやNHKのドキュメンタリーで、震災で一部が破損したマンションを修繕するか建て替えるかで、入居者の意見が対立してしまい、数年が過ぎた今も再建の方針が決まっていない、という報道を目にするようになりました。

いくつかのケースでは、訴訟にまで発展していました。

 

何千万円もの購入費用を、何十年もかかって支払うような自分の資産について、壊れたときに自分で建て替えるかどうかを決めることができない、そればかりかお隣さんと争うようなことになるかもしれない、という事実に、私はすっかり恐怖してしまいました。

しばらくはマンションを購入する気持ちがなくなってしまい、かといって一軒家の購入というイメージも持てないまま、数年が経ちました。

 

片田舎にある実家への移住計画

ところで、私の実家は、東京都の隣県の片田舎にありました。両親との関係も良く、頻繁に遊びに行っていて、その頃はまだ妹が実家で暮らしていました。

その妹が結婚で家を出ることになり、実家には両親だけが残ることになったのですが、そのタイミングで、区画整理で半端な町有地になっていた隣地を買い取り、家も立て替えて二世帯住宅にする話が持ち上がりました。

私は、片田舎の人付き合いの中で育ったので、もし主人と自分が一戸建てを持つとしたら、一番心配なのは近所づきあいでした。主人はそういうことが得意な人ではありませんので、ご近所との関係構築の成否が私にかかってくることが容易に予想できたからです。

でも、すでに両親が近所との関係を構築していて、そこに若夫婦として入るのであれば、夫も私も、両親に倣いながらご近所づきあいができるのではないかと思いました。

そもそも私にとっては自分が育った場所なので、いまでも○○ちゃんと名前で呼んでくれる、子どもの時から知っているおじちゃん、おばちゃんもたくさん住んでいます。

問題は通勤でしたが、私は1時間40分でなんとかなるとして、主人の方は東京の反対側で2時間半にもなるので、現在の職場から実家の隣の市へ転職する方向で話がまとまりました(と一言でいうほど簡単ではありませんでしたが長くなるので割愛します)。

そうとなれば、自由建築での一戸建ての建て方を猛烈な勢いで勉強し、両親とともに住宅展示場をあちこち回り、ライフワークと考えていた社会人サークルを休会してまで家づくりに注力して、2年後の2003年、33歳のときに新しい家が完成しました(この建築の顛末もいつか書きたいと思っています)。

建築中の家

片田舎で高齢化が進み、Jターンだの移住だのに力を入れている町ですから、結婚して町外に出た娘が旦那を連れて帰ってきて家を建て替えたということで、両親は鼻が高かったようです。

ただ、主人の転職がまだポジションの空き待ちだったので、私たちは多くの荷物を新しい家に運び込んだ上で、都内に小さな部屋を借りてそこから出勤し、週末に両親の待つ新しい家に帰るという生活が始まりました。

 

コネクションの失脚と、意外に快適だった二重生活

ところが。話はそううまくは行かないもので、そういう生活を始めて1年ほど経った頃に、なんと、主人の転職について口をきいてくれるはずだった人が、不祥事で失脚してしまいました。

あと2年ほどで定年退職する人のポジションに入れてくれるはずだったのですが、ほとんどコネクションで動いている業界で、他の仕事でもいいというわけにはいかないので、打つ手なし、となってしまいました。

これには参りましたが、一方で、平日を都内で過ごし、週末を田舎の自宅で過ごすという生活に、慣れてきてしまってもいました。

私の両親は、父が庭いじりが趣味で、母は家を美しく保つことが生きがい、というタイプでしたので、毎週末を完璧な管理人が整備してくれている別荘で過ごすようなものです。

主人は主人で、車の運転が好きなので、往復の移動が苦にならないばかりか、片田舎に住んでいる割には運転免許を持たない両親のために、週末に気軽に買い物への車を出してくれるので、とても喜ばれていました。

そうこうしているうちに、主人も現在の職場での立場がだんだんに重くなってきて、簡単には転職できない気持ちになってきたこともあり、もうこのまま定年まで二重生活で行こうか、という共通認識が醸成されました。

おそらくここまでの間に子どもができていたらまた話は変わったのだと思いますが、残念ながらそうはならず、また田舎の家のローンと、都内のアパートの家賃とで住居費が二重になる問題はありましたが、田舎の家の光熱費は両親が持ってくれましたし、私の会社から家賃補給金が出ていたこともあり、当面はこのスタイルで行こう、ということになりました。

 

義母との同居

それで4年くらい経った頃、別の場所で親せきと暮らしていた、主人の母親との同居の話が持ち上がりました。

そうすることになった事情は義母の個人的なことなので割愛しますが、実は義母とは結婚してすぐの一時期にも同居していたことがあるので、一緒に暮らすこと自体には、私には抵抗がありませんでした。

その時住んでいた都内のアパートは、仮住まいというつもりもあって狭かったので、同居できる間取りの賃貸マンションに移りました。

そしてこの後、ざっくり10年を、義母のいる賃貸マンションと、両親が住む田舎の家の往復で過ごすことになりました。

このとき義母は70代半ば、私の両親も70歳前後というところでした。

結果論ですが、長男長女で結婚した我々が、親が年を取ってきたタイミングで、両方の様子を見ながら、一方では家事などで助けてもらいながら仕事を続けることができたので、うまいこと良いところに落ち着いたものだと思っていました。

 

高齢者専用賃貸と義母の介護突入

義母は新しい土地でも物おじせずに人付き合いをするほうで、同居して5年目くらいに、老人会の友達から近所に新しく建つ高齢者専用賃貸の話を聞いてきました。

高専賃自治体から補助が出るので家賃が安く、毎日3時にリビングでのお茶会があったり、部屋がバリアフリーだったり、日中は困りごとを相談できる管理人さんがいたり、夜中でも警備会社に連絡できる緊急ボタンが部屋のあちこちについていたりと、仕事や出張や田舎の家との往復で家を空けることが多い我々との同居よりも、むしろ寂しくないし安心ということで、本人の希望でそちらに移ることになりました。

驚きましたし、独立するとなると生活費を3万円ほど補助する必要がありましたが、いくら同居に抵抗がないと言っても私も主人もそれなりに気は使っていたし、それは義母にしても同じだったと思うので、一人暮らし用の家電一式をそろえてあげて、義母の独立を応援しました。 

この高専賃に移ったことが功を奏したのは、それからさらに4年後、義母が腰痛で動けなくなったときでした。

ある日、急に立ち上がれなくなった義母は、緊急ボタンを押して救急車を呼んでもらい、搬送された病院から私たちに連絡が来ました。

その後、手術などで入退院を繰り返すことになりますが、家にいてもほとんどベッドから動けないので、唐突に介護が必要になりました。

このときにとても助かったのが、すぐに「担当のケアマネージャーさん」がいろいろと手配をしてくれたことでした。私たちも全く知らなかったのですが、高専賃に入ってから、おそらく周囲から手続きのサポートがあって、自ら要支援1を取っていたのでした。

手術後も痛みが取れず歩けるようにならなかった義母は、入院中に要介護3と認定され、退院してからは私と夫が交替で通い、デイサービスや訪問介護を頼りに高専賃で3カ月ほど暮らしていましたが、認知症が出ていることもわかって独居が難しいということになり、グループホームに移りました。

 

気に入っていた賃貸マンション…でも家賃がもったいない 

さて、都内に借りていたマンションは、そもそも義母と同居するために探した家なので、60平米ありました。とても気に入っている物件でしたが、田舎の家に荷物を置いているのに、通勤のための家としては広すぎます。

義母が独立してからは、また戻ってくることもあるかもしれないと思っていたのですが、ホームに入った今はそれもないので、改めて、どうするのがよいか、考えてみることにしました。

50歳を目前にした時期で、まだ定年までは10年ありました。その間を賃貸でずっと過ごすのは、もったいない気がするし、私の会社の家賃補給のルールが変わって年齢制限で対象から外れてしまっていました。

田舎の家のローンも繰り上げ返済でほとんど終わっていたので、都内でマンションを買うことも視野に入れることにしました。

それで昨年、中古のマンションを購入することに繋がるのですが、そのことはまた別の記事で書こうと思います。